二
二
弥勒まではそこからまだ十町ほどある。
三田ヶ谷村といっても、一ところに人家がかたまっているわけではなかった。そこに一軒、かしこに一軒、杉の森の陰に三四軒、野の畠の向こうに一軒というふうで、町から来てみると、なんだかこれでも村という共同の生活をしているのかと疑われた。けれど少し行くと、人家が両側に並び出して、汚ない理髪店、だるまでもいそうな料理店、子供の集まった駄菓子屋などが眼にとまった。ふと見ると平家造りの小学校がその右にあって、門に三田ヶ谷村弥勒高等尋常小学校と書いた古びた札がかかっている。授業中で、学童の誦読の声に交って、おりおり教師の甲走った高い声が聞こえる。埃に汚れた硝子窓には日が当たって、ところどころ生徒の並んでいるさまや、黒板やテーブルや洋服姿などがかすかにすかして見える。出はいりの時に生徒でいっぱいになる下駄箱のあたりも今はしんとして、広場には白斑の犬がのそのそと餌をあさっていた。
オルガンの音がかすかに講堂とおぼしきあたりから聞こえて来る。
学校の門前を車は通り抜けた。そこに傘屋があった。家中を油紙やしぶ皿や糸や道具などで散らかして、そのまんなかに五十ぐらいの中爺がせっせと傘を張っていた。家のまわりには油を布いた傘のまだ乾かないのが幾本となく干しつらねてある。清三は車をとどめて、役場のあるところをこの中爺にたずねた。
役場はその街道に沿った一かたまりの人家のうちにはなかった。人家がつきると、昔の城址でもあったかと思われるような土手と濠とがあって、土手には笹や草が一面に繁り、濠には汚ない錆びた水が樫や椎の大木の影をおびて、さらに暗い寒い色をしていた。その濠に沿って曲がって一町ほど行った所が役場だと清三は教えられた。かれはここで車代を二十銭払って、車を捨てた。笹藪のかたわらに、茅葺の家が一軒、古びた大和障子にお料理そば切うどん小川屋と書いてあるのがふと眼にとまった。家のまわりは畑で、麦の青い上には雲雀がいい声で低くさえずっていた。
弥勒には小川屋という料理屋があって、学校の教員が宴会をしたり飲み食いに行ったりするということをかねて聞いていた。当分はその料理屋で賄いもしてくれるし、夜具も貸してくれるとも聞いた。そこにはお種というきれいな評判な娘もいるという。清三はあたりに人がいなかったのをさいわい、通りがかりの足をとどめて、低い垣から庭をのぞいてみた。庭には松が二三本、桜の葉になったのが一二本、障子の黒いのがことにきわだって眼についた。
垣の隅には椿と珊瑚樹との厚い緑の葉が日を受けていた。椿には花がまだ二つ三つ葉がくれに残って見える。
このへんの名物だという赤城おろしも、四月にはいるとまったくやんで、今は野も緑と黄と赤とで美しくいろどられた。麦の畑を貫いた細い道は、向こうに見えるひょろ長い榛の並木に通じて、その間から役場らしい藁葺屋根が水彩画のように見渡される。
応接室は井泉村役場の応接室よりもきれいであった。そこからは吏員の事務をとっている室が硝子窓をとおしてはっきりと見えた。卓の上には戸籍台帳やら、収税帳やら、願届けを一まとめにした書類やらが秩序よく置かれて、頭を分けたやせぎすの二十四五の男と五十ぐらいの頭のはげた爺とが何かせっせと書いていた。助役らしい鬚の生えた中年者と土地の勢力家らしい肥った百姓とがしきりに何か笑いながら話していたが、おりおり煙管をトントンとたたく。
村長は四十五ぐらいで、痘痕面で、頭はなかば白かった。ここあたりによく見るタイプで、言葉には時々武州訛が交る。井泉村の助役の手紙を読んで、巻き返して、「私は視学からも助役からもそういう話は聞かなかったが……」と頭を傾けた時は、清三は不思議な思いにうたれた。なんだか狐につままれたような気がした。視学も岸野もあまり無責任に過ぎるとも思った。
村長はしばらく考えていたが、やがて、「それじゃもう内々転任の話もきまったのかもしれない。今いる平田という教員が評判が悪いので、変えるっていう話はちょっと聞いたことがあるから」と言って、
「一つ学校に行って、校長に会って聞いてみるほうがいい!」
横柄な口のききかたがまずわかいかれの矜持を傷つけた。
何もできもしない百姓の分際で、金があるからといって、生意気な奴だと思った。初めての教員、初めての世間への首途、それがこうした冷淡な幕で開かれようとはかれは思いもかけなかった。
一時間後、かれは学校に行って、校長に会った。授業中なので、三十分ほど教員室で待った。教員室には掛図や大きな算盤や書籍や植物標本やいろいろなものが散らばって乱れていた。女教員が一人隅のほうで何かせっせと調べ物をしていたが、はじめちょっと挨拶したぎりで、言葉もかけてくれなかった。やがてベルが鳴る、長い廊下を生徒はぞろぞろと整列してきて、「別れ」をやるとそのまま、蜘蛛の子を散らしたように広場に散った。今までの静謐とは打って変わって、足音、号令の音、散らばった生徒の騒ぐ音が校内に満ち渡った。
校長の背広には白いチョークがついていた。顔の長い、背の高い、どっちかといえばやせたほうの体格で、師範校出の特色の一種の「気取り」がその態度にありありと見えた。知らぬふりをしたのか、それともほんとうに知らぬのか、清三にはその時の校長の心がわからなかった。
校長はこんなことを言った。
「ちっとも知りません……しかし加藤さんがそう言って、岸野さんもご存じなら、いずれなんとか命令があるでしょう。少し待っていていただきたいものですが……」
時宜によればすぐにも使者をやって、よく聞きただしてみてもいいから、今夜一晩は不自由でもあろうが役場に宿ってくれとのことであった。教員室には、教員が出たりはいったりしていた。五十ぐらいの平田という老朽と若い背広の関という准教員とが廊下の柱の所に立って、久しく何事をか語っていた。二人は時々こっちを見た。
ベルがまた鳴った。校長も教員もみな出て行った。生徒はぞろぞろと潮のように集まってはいって来た。女教員は教員室を出ようとして、じろりと清三を見て行った。
唱歌の時間であるとみえて、講堂に生徒が集まって、やがてゆるやかなオルガンの音が静かな校内に聞こえ出した。